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2015年12月12日土曜日

相模原市活性化案?神奈川県庁を補給廠跡地に?まさか…ね

先の話ですが、温暖化が進むと海面が上昇してくるそうです。
横浜港のあたりに集中している県関係、国の施設。港関係の役所は海のそばでなければしょうがない。そうでないところはどうする?

もしかして、ですが、JAXA相模原キャンパスを地方に動かしてどうするということです。国が県に土地を売って県庁を持ってくるのでしょうか。何事に於いても「地方創生」(特定の政党の支持団体を指していそうで、現政権が足許を見られているかのようです。)の現政権。「銀河連邦」の「ノシロ共和国」に集約して「サガミハラ共和国」消滅ですか?それは寂しいですよね。

最初に移転ありきで、跡地がどうなる、が公表されていないんですよね。玄関口・淵野辺も「銀河をかける街」でソフト・ハードで様々な街作りをしてきました。時代の流れなのでしょうか。古くは軍都として、「南門」の名前に名残があり、今度は「なぜ『銀河』だったの」、「はやぶさの由来は」という時代も来てしまうのでしょうか。

はまれぽ記事
http://hamarepo.com/story.php?story_id=4774

国もロボット特区として宇宙科学の技術を福祉機器に活かす、という意味の特区指定をしてましたし、内閣の政策に一貫性がないというのかな。朝令暮改というか。政府の中でも何らかの食い違いが出ているのでしょう。とくに現政権になってから「スピード感」を重視するかのように、移転計画の発表を「出来レース」にするべくぎりぎりまでプレスリリースを遅らせてきていたようです。政府の作戦勝ちに持ち込むつもりかも。

相模原市が政令市に移行したのも、国の出先機関が多くあるという事実も少なからず手伝ったのでしょう。それを骨抜きにするとは。「地方創生」も国中の地域全部じゃないんですね。国から独立している「地方自治」の「地方」とは結果が異なっているようにも見えます。

ちなみに、県知事、相模原市長、横浜市長、川崎市長、横須賀市長が連名で政府に移転反対を伝えているそうです。国と地方の温度差が出てますね。(ということは跡地を県に、という線は消えました。)

2014年5月3日土曜日

もう一人いた「さがみん」

先日、相模原市の「メイン」のキャラクターが決まりました。
その名は「さがみん」。

東京新聞HP 2014.5.1から
ようやく決まったという感じです。
でも、「さがみん」でウェブ検索すると座間市の公共施設のキャラクターも同じ名前でした。

(座間市)
http://www.jichitai.com/ouendan/character/ViewCharactor.asp?id=255

まあ、相模の国なのでそれはそれで仕方がないかも知れません。共通点は高座郡の昔の仲間。寒川町が市制施行するとなれば今度こそ高座郡消滅です。津久井郡は現・相模原市に入った時点で消滅しています。

これで愛甲郡の愛川町と清川村がどこかの市に編入になると、県央部から郡がなくなってしまいます。県東部の橘樹郡(たちばなぐん)は横浜市が引き継いだ後、残りが川崎市となり(昭和13年)橘樹郡が消滅しています。

相模原を中心に、県内近隣市町村はどこへ行こうとしているのでしょうか?それにしても気になるのがミウルの立場です。どうなっちゃうんでしょうね。

2014年3月21日金曜日

SC相模原・4/6対ブラウブリッツ秋田@相模原ギオンスタジアム


ん〜、何ともいえずというカードです。わたしと同じく相模原に住んでいる昔からの友人、ともに秋田に親戚がいますのでどっちを応援したものか迷ってしまいます。

聞いた話なので今はどうなのか知りませんが、県央地域では秋田から上京して教員として働いている人たちが多かったといいます。まあ、その影響なのかなという感じが地域の言葉から感じられるときもあります。

秋田の現・能代市は相模原と「銀河連邦」共和国で仲間どうしです。だからギオンスでなのかもしれません。

車を走らせながらコミュニティFMを聞き比べたりします。首都圏近郊にありながら東京とは違う独特な文化がここにはあるような感じがした一枚です。

FMといえば相模原の場合「エフエムさがみ」です。
fm839.com

2013年2月21日木曜日

過去へもタイムトリップしてみよう@旧町HPを見られるサイト

ここにたどりつくまで、ちょっと回り道しました。柴犬図書カードの抽選が始まった、と全国の書店がキャンペーンを繰り広げる中、新津市《名称変更→新潟市秋葉区→新潟市東区秋葉区》となっているのに気づきました。

Googleで「新津市」をさがすとなんか、旧市のホームページが出てきます。こんなプロジェクトがウェブ上であったのでした

国立国会図書館インターネット資料収集保存事業 から 旧津久井町
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/244182/www.town.tsukui.kanagawa.jp/

探せばたぶん、藤野町・相模湖町・城山町のホームページ保存分が出てくるでしょう。眺めているとちょっと過去へタイムトリップ、なつかしい気持ちになれること請け合いです。

2012年12月26日水曜日

大地の恵みの豊かな相模原:最近のアクセスを振り返って

意識はしていませんでしたが、閲覧の人気順に現時点でみてみると、モナの丘・やまなみ温泉・ゲイマーぶどう園跡という順番です。

ゲイマーぶどう園跡
http://sagamihara-sight.blogspot.jp/2012/11/blog-post_25.html

いずれも緑や大地の関わる場所ばかりです。ゲイマーぶどう園跡についてはwww.google.frからもアクセスがありました。ぶどう園主だった方の出身地と同じくフランスからです。

大野台のあたりでもしかして、ぶどう園を復活させようとする縁の人たちが海外にもいるのかもしれません。よくよく見ると、ゲイマーぶどう園(原綴でM. Gueymard wine)も最初の開拓者が経営に失敗したところを買い受けて繁盛させたという歴史もあります。

ちょっと話はずれます。私が学生の頃、よく学生課という所にお世話になりました。夏のキャンプで長野の黒姫へ行ったときも、なぜか小さいグラウンドでソフトボールのミニ試合をすることになったとき、私が一塁で捕まったあとそのあとの打席でどんどん仲間が塁を回り始めました。「一度あることは二度あるんだ」とそのときの担当者がにこにこしながら言ってます。

たぶん、有志でぶどう園も再び盛り上がるのかも知れませんね。

2012年12月24日月曜日

大山道(おおやまみち)

伊勢原市の大山(1,252m)を目指す放射線状の古道がいくつもあります。

今回は、相模線から129号・作の口付近を通り、大山を見るビデオを紹介します。



あのあたりは、さがみ縦貫道のアクセス部工事のため、どこがどうつながっているのか皆目わからなくなっています。自分で行きたい場所があればどう行けばいいのか、整理し直すまで若干時間がかかりそうです。

このビデオの作者のチャンネルは見応えがあります。紹介させていただきます。

http://www.youtube.com/user/ken588?feature=watch

たぶん、相模原の自然豊かな名所はほとんど網羅されているといっていいでしょう。

2012年12月1日土曜日

DC狂の詩(現・相模原市緑区〜中央区〜南区:電化前の相模線キハ35)



やっぱりわたしも、いくつになってもディーゼルカー(DC)の走るのを見ると旅へと食指が動きます。うずうずするのです。

ちょうどわたしが社会に出る直前の動画ですね。撮影は1993年とされています。2年前にアップされたようです。いわば相模原の史料的な動画をあげていただいたことに感謝しています。

このころまでは、沿線周辺の街は何処も変わりありませんでした。それから10年、20年経って、相模原市は2010年に政令指定都市として競り勝ちいっとう抜きん出たポジションを勝ち得ました。

この動画の末尾にちょっと出てくるのですが、八高線も八王子〜高麗川間の電化を直後に控えていました。いまや相模線も、八高線高麗川以南も、(相互に乗り入れていませんが)電化され電車が走っています。しかも、八王子〜高麗川〜川越(乗り換え)川越〜大宮で直通運転してます。川越から大宮経由でりんかい線へ出る電車にも乗り継げます。

いまのところ、相模線の電車の一部は橋本から八王子まで横浜線に乗り入れ北上して八王子でストップです。八高線の電車は高麗川から南下してきて同じく八王子でストップです。

大宮といえば2003年に政令指定都市に移行したさいたま市にあります。相模原市はその7年後の2010年になります。わたしが小さい頃、在京某キー局が埼玉県をおとしめる歌を流してました。

そのころ「うちのほうが都会だ」と威張っていた街が今になって、取り残されて一番田舎になってしまったのです、皮肉なものです。2017年頃にはこの辺、全般的にどう変わっているでしょうね。

いつぞやわたしは新聞かなんかの提言で、相模線から横浜線を通して八高線電化区間を定期で直通させるといいのでは、と言った憶えがあります。そういえば、相模線〜横浜線〜八高線〜川越線は圏央道と平行しているのは偶然でしょうか。たぶん、ですが八王子駅の中央線ホームを使って入れ替えして直通は出来るかも知れません。よく分かりませんが。
(下の図はJR東日本HPより)

乗り鉄版・橋本駅からキハ35:1990年当時


整備すればダイナミックリンクの中には入れるはずなんですけど、いかんせんネックは単線であること。相模線には「『溝』を通って海に抜けるんだぜ」という歌もあるようです。川越から八王子経由で茅ヶ崎まで単線を「通って海に抜けるんだぜ」、いいじゃないですか。山陰本線の京都口は京都〜園部が電化複線になってます。相模線も橋本〜上溝(新駅作の口?まで)複線化するといいんですよね。小田急多摩線の延伸も視野に入れて。仮称、【快速相模ライナー】。4両編成で茅ヶ崎から高麗川、大宮まで直通とか。



実際、1987年のことですが、臨時列車でホリデー快速観梅号が気動車で運行されました(上の動画)。見事に八高線と相模線を直通していました。


こういうふうに複線化を進めている方も見つけました。参考に。
http://www.sagamimirai.jp/sagamisen.html

今の相模線はこんな感じです。

2012年11月25日日曜日

ゲイマーぶどう園のあった場所/南区大野台5丁目

行っても工場があるので「あれ?」という感じかも知れません。そうです、工場しか今はありません。わたしも相模原に越してきた1999年当時、まだあったのです。
(2012年現在の位置図:グーグルマップ)


 (交通)JR古淵駅から神奈川中央交通バス・ゴルフ場経由北里大学病院行き
本数は少ないです。16号を八王子方面へ大野台二丁目交差点左折、大野台中央小入り口バス停付近。

(リンク)2008年当時の他サイト記事です
lost world of Sagami http://heartmt.exblog.jp/i6/ vignoble lost
ゲイマーぶどう園 http://mkaji.seesaa.net/article/85809152.html

(ぶどう園があった当時の地図:1994年、昭文社。自宅「書庫」より)


とりあえず「観光ブログ」ということなので、過去のことを書いてもいいかなと思って書きました。

タウンニュースにも載ってました(2012.11.22号南区)
「覚えていますか?あの強い味 大野台・ゲイマーワイン思い出話」

跡地に建った工業団地・Sia神奈川のロゴマークには、一房のぶどうのイラストが入ってます。ぶどう園当時の名残がイラストに留まっています。

こんどはこの近く、散歩してまわるには最適なコース、「ここち湯」や「相模原球場」、「宇宙科学研究所」、「市立博物館」を紹介したいと思います。この「大野台中央小入り口バス停」の先の「ゴルフ場入口バス停」を起点に歩き回ってJR淵野辺駅までという感じです。


2013.9.7追記
 ニトリモールの開店後初めての土曜日の様子を見に行った帰りに、Sia神奈川のまわりを自転車で一周してきました。その時の写真です。


これはバス通り(ゴルフ場前バス停近く)から南を見た図です。
真ん中にぶどうの房をあしらった看板が立っています。
工場のわきの道では、近所の人たちとおぼしき人たちが自転車を止めて立ち話をしています。


ここが工業団地のど真ん中です。一周したつもりが1/4周しかできていませんでした。
ある工場の裏に回ると有機溶剤とおぼしき鼻をつく匂いがしています。


ふたたびバス通りへ。中央に工業団地の案内図が立っています。
こうしてみるといかにゲイマーぶどう園が大きかったかわかります。

大型車は通り抜けできないと看板が立っています。
この工場街を貫く道の両端にはこもれ日の森(相模原緑地)から大野台に抜ける細道が続いていて、ぶどう園のあった当時をしのぶことができます。