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2017年4月13日木曜日

今年6月に南区の市場が閉鎖される模様

ニトリモールの向かいですね。ニトリモールも元は流通センターのあった場所です。
奥のSia工業団地もゲイマーワイナリーのあった場所です。
南区や町田は店の入れ替わりが加速しています。20年続いたイルヴィネイトも閉店してます。町田カリヨン広場のドドールが張り紙もなく閉店しています。心配ですね。
翻って市場が閉鎖後、どうなるんでしょうか。例により庶民の手が出ないタワーマンションに化けていたりして…。
わたしなぞの低所得者層ならずとも、南区や町田南部まで県央の累を負うかのように、傾きつつあります。もしかしたら、紛糾する国会、大手企業倒産まぢかな国内全体の経済の後退がここにも出てくるのでしょうか。

相模原綜合市場情報 http://www.sagamihara-ichiba.com/news/000913/

閉鎖および移転については上記サイトで6月に発表されるそうです。

2017年3月11日土曜日

6年目のわたしの3.11〜夜空を見て涙がこぼれないように〜下溝から淵野辺までの徒歩

あの日、職場でテレビを観て同僚が驚きの声をあげ続けていた。
だが、それは悲劇の序章でしかなかった。

「水蒸気爆発」する福島第一。
じつはあの時既にメルトダウンしていたらしい。
飛散する放射性物質の恐怖。
相模原もその後、基準値を上回る値を検出し続けた。

そうとも露も知らず、わたしは仕事場で来ていたお客さんを避難させて、小田急が止まっていたのでバスで家路についた。

それが後日、わたしへの非難となって降りかかる。外に避難させて良かったのか、寝泊まりすべきじゃなかったのか、と。

そして、家路について。原当麻行きのバスがあったのでゆられること2時間。原当麻の三和で一息つき、マクドで腹ごしらえする。よく停電していなかったものだ。そこに行き着くまでの歩き1時間。相模川を渡る橋を渡り、原当麻に向かうと辺りは真っ暗だった。じつは停電していた。星明かりしかない。

同じ星を眺めながら、親族友人を亡くしてぼう然としていた人も数限りなくいたに違いない。足許を気をつけながら、工事中だった圏央道接続道路の歩道を歩き、同じく携帯を頼りに道を探し歩く人たちと少なからずすれ違った。わたしもその一人だった。

北里方面の便はなかった。歩いてハケ下から上へ行くしかない。北里の北側を通って歩き通した。自動販売機まで停電になってないところで休みながら。

和泉短大付近でバスを見かけたが逃してしまう。博物館と宇宙科学研究所のそばを通り、16号を超してようやく淵野辺到着。置いてあった自転車で帰宅した。家人はなぜか、多くを語ってくれなかった。わたしを玄関で見るなり、足はついているよね、といっていた。お湯を張っていた湯船から脱衣場に、お湯があふれていたらしい。飼い犬も吠えていたことだろう。(震災後、被災地でなくなった親族らの姿を見かけた、という人たちもいたという。)

ざっといえばこのような形だった。しかし、その翌週から小田急が動くまで、片道三時間をかけて自転車で職場まで行っていた。その時の後遺症か、未だに寒くなると膝下が痛む。冷えもひどい。小田急も座間〜相武台前間で路盤に亀裂が入っていたのでその復旧だったらしい。

その後、落ち着いてからモナの丘が自転車通勤経路の近くにあることをしる。自転車を暗闇の中こぎながら、頭の中をループしていた曲がある。以前繰り返し聞いたマーラーの交響曲第2番の各楽章のフレーズだった。特に、終楽章の合唱が入るところから。

その近辺の日付で見聞きしたニュースだと、新宿から夜明けまで帰宅で歩き通した人たちも少なからずいたという。そこから「帰宅困難者」の保護が防災訓練に入ってくる。

Sukiyakiもとい「上を向いて歩こう」が時々流れるのが、近所の三和の入っているSCだったりする。そのSCも3.11で開店時期が遅れた。〜涙がこぼれないように〜これはわたしたちが先の戦争を忘れてはならないのと同じく、重みを持つことではなかったのか。

2017年2月6日月曜日

小田急のWダイヤ:途中まで「福福線」、以西は……?

新宿方面から登戸付近まで、複々線になるそうです。
登戸付近から相模大野までは変わりません。
相模大野から先も変わりません。

相模原にいて複々線ダイヤ改正の恩恵をどう受けられるのでしょうか。

各駅の折り返しがある本厚木から新宿方面に向かうとよく分かります。
相模原市内付近に差し掛かると、後述の通りいかに悲惨か分かります。

平日17:31新宿行き。これを逃すと町田まで15分は余計にかかります。
なぜなら、ロマンスカーの通過待ちと、大野での江ノ島線急行と同時入線不可。
これで15分遅れるわけです。区間ラップ記録ですね。

もっと悲惨なのが17:39ごろ発車の各駅停車新宿行き。
途中、相武台前で2本のロマンスカーと1本の急行をやり過ごして区間もっとも遅い。

Wダイヤですが、登戸から下り方面はこんな感じです、とレポートしましょう。
とてもではないですが、相模原の繁栄に貢献するのか?というところです。
東に東に利用人口が流れ出ていくぞ、地域の発展に貢献してるのか?です。

2016年8月25日木曜日

相模原のぶどう園

http://www.sagami-fruit.jp/an-orchard/index.html

特に中央区から南区にかけて、相模原台地沿いにぶどう園が広がっています。
やっぱりこの話をするにはゲイマーぶどう園のことは外せません。

ぶどうと一口に言っても、食用とワイン用というのがあります。たぶん、栽培方法も土壌もそれらでは異なるのかも知れません。

食用ぶどうの片隅からワイナリー用を作るとどうなるんでしょうね。地元名物”さがみはらワイン”ブランドで売り出すと良いなと思います。ものになるには時間はかかりますけどね。


2016年7月27日水曜日

相模原はこわいところではありません(といってもベルギーやパリのことは語れません)

19人の犠牲者。さらに増えるかも知れません。
あの施設、もしかしたら廃園に追い込まれるでしょう。
たったひとりの過ちのために。
そのひとりの過ちを見逃したものとは、なんだったのでしょうか。

ISISがロンドンやベルリンを標的にしているともいわれています。
彼らを狂気に駆り立てたものはなんだったのでしょうか。
貧困?政治?怒り?恐れ?

相模原だってそう小さい街ではありません。横浜・川崎とならんで神奈川を代表する都市のひとつです。ニュースが起きれば全国区になります。
政令市になるとは、それだけの名誉と責任が伴います。

相模原はこわいところではありません。人の波が途切れませんように。

2016年7月13日水曜日

北里学食のソフトクリーム

https://mobile.twitter.com/KitasatoNavi/status/752770101808467968

そういえば、以前、大学病院のバスターミナルから相模大野駅北口行きの定期運行にスクールバスの車体がなぜか、運用に入ってました。なぜかそれに乗ることに。

学生気分というのか、このバスでどういう思いをしながら学生が通っているのかなと考えたりしました。掃除も整備も、他の車両よりはしっかりされているように感じたのは気のせいでしょうか。

2016年6月18日土曜日

※クマ出没注意※

ひばり放送(相模原市の防災行政無線放送)は、登録すれば携帯にも放送内容が配信されます。

そのなかで、今月に入ってから緑区西部でクマの出没情報が出ています。最初は藤野のやまなみ温泉のあたり、今度は三ヶ木(みかげ)付近、今日は寸沢嵐(すあらし)で目撃されています。

だんだん、住宅街に近づいてますね。ご用心ください。

2016年4月3日日曜日

JAXA相模原キャンパス 移転取り消し

自治会の回覧でも、駅頭でも、移転反対の署名がありました。やはり意思を表さないといけないときもあります。

各方面の方々のご協力で、移転が取り消しになりました。首都圏の他の地方の発展も大切ではありますが、もし移転するとしたら新たなインフラや維持でかえって移転先の負担が増えて、実が伴わないものになったでしょう。むろん、その不足分を赤字国債で埋め合わせするのは目に見えていました。

JAXAは相模原にあるから良いのです。台地に展開して、これほど地の利の良いところはありません。余談ですが、横浜線淵野辺駅の発車メロディーは「銀河鉄道999」のゴダイゴ版のアレンジです。星座にまつわる街が維持できて良かったです。

ただ、今後の流れによって再浮上するかも知れない話題なので、気は抜けませんね。

2016年2月24日水曜日

SAGAMIHARA-UNIVs.jp あるいは理系密集地帯

2016.3.25追記
通勤、家に帰る途中、乗った小田急で座った正面に受賞記念バージョンの北里大車内広告。二日連続。これ、なにか縁がありますね。


 北から順に麻布大(獣医系)、青学(情報工学)、JAXA相模原キャンパス(宇宙科学)、北里大(生命科学総合、2016.3.20オープンキャンパスあり)と「理系」施設が密集しています。もう受験シーズンは後半になってしまいましたが、これから世のお母様方には、孟母三遷の三つ目にこの地域、いかがでしょうか。環境良いですよ。そういえば、今度の北里オープンキャンパスの広告にはノーベル賞受賞者の横顔として北里柴三郎博士(日本で初めての医学賞候補とされながらうけられなかったそうです)と大村教授の写真が並んで入ってます。
そういえば、アド街かなんかで、古淵のケンタに「ウマは道交法の車両」として麻布大馬術部の人がウマで乗り入れ、ドライブスルーをするというワンシーンがありました。その近くのニトリモールに行くと、北里よりも麻布の人たちが多い印象があります。

2016年2月15日月曜日

たまご街道放映記念

テレビの力はすごいけどあとがコワイ。
どうやって固定ファンになってもらうか。

全国区内定、かもしれない。決して、だべ、なんて言っちゃいけない。
べし、も全国区の方言。

2016年1月31日日曜日

相模原南部の動脈 小田急線 2016・3月ダイヤ改正予定

マイナビで知りました。3月ダイヤ改正予定。
小田急プレスリリース
http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8360_8351253_.pdf

どうやってたどりついたかというと、千代田線の新しい車両が乗り入れている、なんで?でした。
でも、これはいわば、嵐の前の静けさかもしれません。JR常磐線と小田急の車両が相互乗り入れ。ダイヤのパターンが20分ヘッダーになるそうです。
田園都市線の東武乗り入れみたいに、小田急線を走っている車両の本数は単純には増えるように見えます。
あと、伊勢原と海老名にもロマンスカーがとまる予定。速達性の関係で相模大野停車スジはどうなるんでしょう。
最近、ミニコミ紙を見て、大野の伊勢丹が縮小するという、穏やかならぬニュースを見つけました。相模大野大丈夫かな、心配です。

話は飛躍しますが、やはり小田急線沿線の西の端、小田原市と南足柄市の二度目の合併協議が始まっています。相模原市も合併と政令市移行してまでは良かった。ところが、市内各線の駅前の活気が落ちているようです。南足柄市が二度目の協議に出たのは、単独だと財政が保たないといいます。相模原市も、周辺市となんらかの動きを見せるかもしれませんね。

2015年12月12日土曜日

相模原市活性化案?神奈川県庁を補給廠跡地に?まさか…ね

先の話ですが、温暖化が進むと海面が上昇してくるそうです。
横浜港のあたりに集中している県関係、国の施設。港関係の役所は海のそばでなければしょうがない。そうでないところはどうする?

もしかして、ですが、JAXA相模原キャンパスを地方に動かしてどうするということです。国が県に土地を売って県庁を持ってくるのでしょうか。何事に於いても「地方創生」(特定の政党の支持団体を指していそうで、現政権が足許を見られているかのようです。)の現政権。「銀河連邦」の「ノシロ共和国」に集約して「サガミハラ共和国」消滅ですか?それは寂しいですよね。

最初に移転ありきで、跡地がどうなる、が公表されていないんですよね。玄関口・淵野辺も「銀河をかける街」でソフト・ハードで様々な街作りをしてきました。時代の流れなのでしょうか。古くは軍都として、「南門」の名前に名残があり、今度は「なぜ『銀河』だったの」、「はやぶさの由来は」という時代も来てしまうのでしょうか。

はまれぽ記事
http://hamarepo.com/story.php?story_id=4774

国もロボット特区として宇宙科学の技術を福祉機器に活かす、という意味の特区指定をしてましたし、内閣の政策に一貫性がないというのかな。朝令暮改というか。政府の中でも何らかの食い違いが出ているのでしょう。とくに現政権になってから「スピード感」を重視するかのように、移転計画の発表を「出来レース」にするべくぎりぎりまでプレスリリースを遅らせてきていたようです。政府の作戦勝ちに持ち込むつもりかも。

相模原市が政令市に移行したのも、国の出先機関が多くあるという事実も少なからず手伝ったのでしょう。それを骨抜きにするとは。「地方創生」も国中の地域全部じゃないんですね。国から独立している「地方自治」の「地方」とは結果が異なっているようにも見えます。

ちなみに、県知事、相模原市長、横浜市長、川崎市長、横須賀市長が連名で政府に移転反対を伝えているそうです。国と地方の温度差が出てますね。(ということは跡地を県に、という線は消えました。)

2015年11月14日土曜日

JAXA相模原キャンパスの移転問題

2015.12.1追記
 自治会の回覧にも、移転反対の署名が回ってきました。うちが当番なので、うちから回覧開始です。あらかじめ書いておこうかな。
-2015.12.1

うーん、これはむずかしい問題だとおもいます。

国のやることは、密集するファシリティを周辺に拡散するやり方だとは思います。たとえば、霞ヶ関の省庁機能の一部をさいたま新都心周辺に移したりとかの流れでしょうか。

でも、「銀河を駆ける街ふちのべ」にとってこれは一大問題です。相模原キャンパスを秋田の能代にある既存施設に集約したりするらしいのです。(2015.11.14 朝日「さがみ野」)

そもそもの成り立ちから。間違っていたらごめんなさい。旧津久井郡をのぞくもとの相模原市域は、戦時中の軍都構想から始まっているそうです。一時的に今の座間市も取り込まれていたのです。キャンプ座間等は接収・返還後その名残で(地続きの綾瀬・大和の厚木基地については省きますが)、その他返還された跡に、相模原公園、麻溝公園、ロビーシティー、JAXA相模原キャンパス、市立博物館、各地の小中学校等の施設ができています。

これでJAXAに加えて青学が渋谷に戻るといいだしたら、大変なことになってしまいますね。その地にあるいわゆる名物施設がなくなるのは、日本中どこを見てもやっぱり大変なことです。そういえば、軍都構想ということで思ったのですが、淵野辺や矢部は現補給廠の「南門」ということで栄えていたそうです。いまはひっそりとしています。「はやぶさ」(隼)、「イトカワ」(糸川)は戦時中のある一点で結びついているともいわれています。

わたしも御殿峠の向こうから相模原に移り住んで十数年でなんともいえないのですが、都内にいてはうかがい知れないそれぞれの事情があるのだと感じております。アプリオリで、生まれ育った環境で、地元の拠って立つものがなくなるのはかなりショックでしょう。それぞれがそれぞれの立場で地元の振興を受けて立つのも、住むものの務めかと思います。

2015年7月19日日曜日

ボーノ相模大野・南向きのデッキ(南区・相模大野駅北口)

あの「駅ヨコ」という表現、なかなかひっかかってとれません。
ふつうは「駅前」というのですが、ボーノのことです。

ああしたビルはテナントの入れ替わりが激しいようで、駅に近い方で半分ぐらいは入れ替わっているようです。クリスピークリーム(2015.7.15現在空店舗)、ヨゴリーノカフェ(現在天丼屋)、など。

わたしを含めて男の子(歳を聞かないでください)は、いくつになっても電車が好きな人もいるようで、暗くなるまでボーノのデッキで小田急線をみていました。わたしが手すりに寄りかかって、小田原線や江ノ島線や入れ替えの列車を眺めていると、この駅で乗り降りする男子学生5人ほども他の場所で、わたしと同じく列車をみてました。気づくと30分ぐらい。

特に、江ノ島線から高架を通って相模大野に入線する列車は、ジオラマを眺めているようでおもしろいです。

よくこの過密ダイヤで安全運行できるものだとあらためて感心してしまいます。新宿方面でよく、急行がつっかえてますが(わたしも勤め帰りはこれに乗ってます)、ある意味しかたないのかなと思いました。

じつはここ、子供連れで来る人たちには良い場所かも知れません。穴場でしょう。0円。えっと、そのあとボーノでサーティーワンやオギノパンとかで子どもにおやつとすれば、0円ではありませんが……。大人同士なら背後のタリーズとか1階のアイリッシュパブとかもおすすめです。ガイドブックにもユーチューブにも出てないところです。

ぜひ。