AD : Haru and Hanako store

ads

ラベル 政令指定都市 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 政令指定都市 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年2月1日金曜日

「あんまり相模原の悪口言うなよお……(つД`)ノ」

わたしは勤めが相模原のご近所なのですが、すまじきは宮仕え、自分の住んでいる土地も悪く聞こえるように話されるとけっして良い気持ちはしません。

たしかに県内の横浜・川崎は(この両者でも大都市移行がそれぞれ戦前、戦後の違いもあります)「平成の大合併の相模原や浜松と、五大都市を一緒にするな」とわが職場の人はいってます。その職場のあるところは相模原よりも小さいのに、ね。

五大都市とその直後の都市は「特別政令市制度を作れ!」とかやっているようです。なんとなく、「旧帝大と駅弁大学を一緒にするな!」という議論にどこか似ています。

時間が経つほど、相模原の周りもいろんな点で均質化していくとは思います。

2013年1月18日金曜日

さがみはらアンテナショップ sagamix(さがみっくす)


http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kanko/024964.html

南区 小田急線相模大野駅北口の「bono(ボーノ)相模大野」にオープンするショップ名だそうです。ローマ字で表記するとわかるのですが、地名の「大野」が隠れているのに気づきましたか?直接に関係はないのですが、ドイツのかつての暫定首都がBonn、フランス語やイタリア語の元になるラテン語で「良い」を指していたらしいです。bonoは造語だそうです。選考基準でbuono(It.)との掛け合わせと明記されています。

(相模原市HPより)
本市の特産品や季節ごとの見どころなど観光情報の発信拠点となる同ショップの名称に195点の応募があり、選考の結果、「sagamix(さがみっくす)」に決定しました。


sgamixには、物販スペースだけではなく、カフェスペースを設け、さがみはらの旬の味をその場で楽しんでいただけるほか、様々な企画や催しを通して本市の魅力をお伝えしていきます。
(ここまで)

相模大野駅へいくとき、小田急町田駅から下りホーム階段下に「ボーノ相模大野」の街開きポスターが貼ってありました。あのあたりはどうも線引きが微妙なところで、「ヨドバシカメラマルチメディア町田」の記事で書いたとおり、「マルチ〜」は相模原と町田の両方にまたがっています。JR横浜線町田駅(東急田園都市線の南町田駅ではありません)のヨドバシ側階段の上あたりに、「広報さがみはら」のボックスがあったりします。どこか思い出せませんが、相模原市域側に「広報まちだ」のボックスがある場所もあるようです。

サカゼンが一時話題になりましたが相模大野には再開発でいろいろ開けるところがあります。まだまだ目が離せません。

「さがみっくす」のロゴマークを見るとわかるのですが、あじさいの花があしらってあるようです。

こんなところにも……
相模原公園/相模原麻溝公園
相模原市の花は「あじさい」です。

 十年ぐらい前までは、都市を売り込めと競い合って県央の各市が「東京事務所」を出していました。相模原市もそのひとつです。千代田区平河町にあるそうです。政令市なのでますます、国の機関との連携が必要ですし良い場所でしょう。

 都内、といえば私が以前通っていた病院で飯田橋に大きいのがあるのですが、行き帰りに青森県のアンテナショップ「あおもり北彩館」東京店があり、立ち寄ったこともあります。

 相模原市は都内にアンテナショップを作るのか、と思いきや、「うちまでおいで」ということでしょうか相模大野駅近くに「さがみっくす」ができるわけです。それだけ相模原市が全国にむけて地歩を固めたとも見て良いでしょう。新宿駅南口で市の売り込みをしていた記事の切り抜きすら懐かしいです。それだけ市町合併から時間が経ったということですね。

2013.3.16追記
ボーノ相模大野グランドオープンを取材しました。
さがみっくすの記事もあります。
http://sagamihara-sight.blogspot.jp/2013/03/bono2013315.html

2013年1月13日日曜日

思い出の「ピクニックランド」、現「さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト」(緑区若柳)

私が小学生の時、両親に連れられて親の職場の「集中登山」で、近くの石老山(せきろうさん)へ行きました。これはまた、別項目を立ててみます。雑木林の中を登山道が通る、そんな感じのいいところです。ひとりきりになりたいときは、この山の方をおすすめします。登山口からの集落のひなびた感じも、山好きにはたまらないでしょう。

では、ひとりきりが嫌なときは?「プレジャーフォレスト」。富士急が買い取ってからだいぶ雰囲気も変わったようです。バーベキュー、イルミリオン。なんだかファミリーで行くのには気が引けてしまう時期もあります。今度はバレンタインデー、ですか。

・さがみ湖プレジャーフォレスト HP
http://www.sagamiko-resort.jp/index.html

・場所 地図で「412」と書いてあるあたりです。


いろんな楽しみ方が増えていいのですが、私の気に入ったのはドッグランです。首都圏西部であれほど広くて起伏もあるドッグランはここぐらいかと思ったぐらいです。飼い犬の柴犬を放してのびのび走らせたこともあります。他のイヌとじゃれ合ったり組み合って転げたり、はらはらして見ていたのですがイヌの社会性というものがよくわかります。

HPで見ると「ドッグフィールド」になっています。2カ所もあるんですね。しかも、ペットと泊まれる宿泊施設まで!

私の関心のあるところでは、マウンテンバイク(MTB)のコースまであるようです。「ピクニックランド」時代には相模湖を見おろしながら舗装路を周遊するコースがありました。いまは完璧にオフロードなんですね。

余談。そういえば、いとこがサンフランシスコへ遊びに行ったとき、現地の自転車はMTBしかなかったといってます。ちなみに、いとこは二十歳で国際免許(都の場合申請すれば取れる)も持っていますがアメリカではまだレンタカーを貸してもらえなかったそうです。なので、坂の街をMTBでめぐっていたといいます。

「相模湖って八王子よりもなにもなかったんだよね」
「相模湖は相模原と合併して八王子よりも格上になっちゃった」
「お兄ちゃんのばかっ!」
「・・・」
約10年前、相模原に引っ越してくる前に八王子に住んでいたことがあるので、たぶん、妹と話すとこんな事になるんでしょうね。高尾山がミシュランに載って大賑わいになるとも、当時予測できなかったと思います。

・交通
 バスなら相模湖駅から三ヶ木行き、が建前になります。

 これが時季を見ないと大変なことになります。国道20号相模湖駅前交差点から分岐する国道412号線、三ヶ木交差点までがボトルネックなのです。三ヶ木から南の地区への要衝だからです。圏央道の八王子ジャンクションから相模原愛川インターチェンジが通っても、412号線の上の区間がどうなるのか未知数ではあります。この渋滞にはかなちゅう先生もかないません。

 特に冬。三ヶ木まで家庭教師で行っていた憶えがありますが、湖畔からプレジャーフォレスト前への峠道で、乗ったバスも凍結でスリップし、沿道のおじさんが氷の上に毛布を投げ出しては坂道発進を助けていました。交通量のため塩化カリウムも追っつきません。

 究極の選択。相模湖駅からプレジャーフォレストまで、歩いて国道沿いで行くという手もあります。歩くのをいとわなければ、です。私が小学生の時、渋滞がひどくてバスを降りて両親や兄弟と国道沿いに歩いた憶えがあります。あれからん十年。どこまで圏央道に期待できるやらです。

・オプション
 道がすいていて車で不自由しないなら、20号を通って西へ、藤野から南に入り藤野やまなみ温泉という手もあります。国道沿いがおすすめです。また、20号の大垂水峠手前小原から美女谷温泉も良いです。

 本当のことを言うと、あのあたりにはほぼ林道のような県道が縦横に走っているのですが、峠部分ではすれ違いも困難です。陣馬山の和田峠、南アルプスの夜叉神峠とか、ああいう狭い道になれた人でないと難しいと思います。


2013.5.1追記
 遅ればせながら。プレジャーフォレスト敷地内に「さがみ湖温泉うるり」がオープンしていましたね。これから初夏にかけて梅雨寒の時もありますし、外遊びで冷えたら温泉でというたのしみかたもできそうです。甲信越からの帰りに立ち寄るのもいいでしょう。
http://www.sagamiko-resort.jp/ururi/
 風呂場の図を見ると、きれいに線対称で配置されているのが印象的です。

2014.7.6追記
 圏央道の市内開通を控えていたとき、ミニコミ誌にはプレジャーフォレストの新アトラクションが紹介されていました。その後、新聞でも出ていたようです。ミニコミ誌とは、親子連れの家族向けに精力的に記事を出しています。地元の人でないとリアルタイムで読めないという制約はあります。ネットと違って紙媒体は、好きなときにそのまま持ち歩いたり切り抜いたりできます。ブラウザだとブックマークをしても次に見たら見られなくなっていることも。紙はあなどれませんね。

2018.10.28追記
 先日、南区のある角打ちの店で飲んだ時、力道山の話題が出かかって、ひょっとしたら旧相模湖ピクニックランドの前身について話題が行くかなと思いました。話題はプロレスの方に振られてしまいました。東京・大田区の池上本門寺に墓所がある力道山、生前に旧ピクニックランドの土地に大きなリゾートを計画して土地を買っていたそうです。
 旧車好きのオールドファンの店主なら、きっとその話をしたかったのだと思います。

2012年12月28日金曜日

相模原市南区スペシャル!サイト紹介

http://members3.jcom.home.ne.jp/4050387601/OEC_Toru_Machi/OEC13_Sagamiharashi/OEC13_Sagamihara_shi.html

すごく充実しています。「小田急線の通る街」というページです。これでもか、これでもか!という勢いです。

2012年12月18日火曜日

世界でいちばんのろいスジ@相模原市南区相模大野駅


相模原の背骨を走るのが横浜線なら、貧弱なあばらはモタ急・オバQ・小田急線です。
相模大野駅だけじゃどうにもなりません。小田急相模原も相武台前も大切にね。

 おなじみ、プリプリの名曲の替え歌です。


世界でいちばんのろいスジ

9月の台風押し寄せたら
相模川越えるの町田へ
輝く銀色の4000系みんなを乗せ
本厚木で足止めだよ
たいくつなアワーラッシュざわめく乗客
うちで過ごす時間が ほら間引きの彼方に消えてく

通勤電車は傍目に 駆けぬける がらがらのロマンスカー
海老名は目の前 運転再開してよ
世界でいちばん 寝てるスジ
もうこのイライラ止めないで

コンパスはいつも ほら東を指してる
もうすぐよ きらめく海老名の街
永遠に着かないかも 各駅新宿行き
遙かな町田にたどりつくの
どけよホーンがいつの間にかうばっていった
通勤のジュヴナイル取り戻すのよあなたといっしょに

5分遅れなんて驚かない海老名で通過待ち
ついでに相武台前でも通過待ち
世界でいちばん 寝てるスジ
いつまでも やきもきさせて

相模大野 警戒25キロ 3番線へ
4番線の快速急行と回送に抜かされて
たどりつくの3分の駅間12分かけて
町田到着 通過待ち 階段が詰まるよ
区間でいちばん のろいスジ
区間でいちばん 遅いスジ
世界でいちばん 寝てるスジ





相模大野駅手前のノロノロ運転です。




2013.4.28追記
とくに町田駅の小田急百貨店入口のボトルネック。通勤通学のラッシュに出くわしますが、あの場所で身動き取れなくなる瞬間もあります。これで将棋倒しとかテロが起きたらどうなるのか、想像しただけで恐ろしい場所もあります。



2012年12月14日金曜日

京王相模原線橋本駅(相模原市緑区)


橋本駅手前の最後の右カーブ
(ウィキペディアから)

新宿から橋本に向かう乗客には、なぜ相模原線(さがみはらせん)という名前なのか、という思いもあるでしょう。調布から橋本まで相模原線という名前です。

わたしの憶えている限りで話してみます。新宿から南大沢まで開通して、おお!という感じでした。学生時代でした。京王堀之内の丘の上にあるモスバーガー(いつの話だろう)に入って大学の仲間と議論するのが楽しみでした。それぐらいしか周囲は開けていなかったというわけです。

麻溝台に住んでいた後輩が、橋本から大学までの京王バスは不便だからといって、授業のある日は彼はスクーターに乗って補給廠脇をとおって来てました。たぶんこれが、わたしと相模原の最初の関わりだったようです。当時、相模線はまだ非電化区間でした。

その後、やっと橋本まで開通だったのです。恩師の退官講演とパーティーのとき、多摩センターから大学まではじめて多摩都市モノレールに乗り、地域がだいぶ変わったのを感じました。いまでは巨大ショッピングセンター、アリオ橋本を目指して海老名あたりまでの半径の人たちが押し寄せています。

京王相模原線に戻ります。橋本から津久井の中心地まで延伸構想もあったそうです。橋本のホーム突端にはマンションが建ち、断念したのだなとわかります。地図上をたどると旧国鉄工機部(橋本車両センター)跡が延長線上にあるのがわかります。
(参照 http://web.thn.jp/wgwg_haitetsu/haitetsu/keio_sagami/keio01.htm)いまは東急ストアや郵便局、高層ビル群が建っています。橋本から西は神奈中バスが緑区三ヶ木(みかげ)までは直通で運行されています。

現時点で市内始発の新宿ゆき路線はここだけということになります。小田急多摩線が唐木田から上溝まで延伸すれば、都心直通は二本になります。国内の消費が減り続けるならたぶん、都心にこだわる必要すらなくなりそうですが、どうなるんでしょう。

現代の「絹の道」圏央道のイメージ。
砂利道、横浜線、16号、
自動車専用道路と進化するのがわかります。

震災と津波の件もあり、危機管理上、相模原台地へ横浜から県庁を持ってくる構想もあって良さそうです。ことのついでに、内陸の開発も圏央道絡みで必要になると、京王には残念ですが小田急多摩線延伸が市内発展に必要になるかもしれません。田名あたりも住宅地の開発で重要になるでしょう。圏央道は空路の成田、海路の横浜と結びつくため、国際競争につながる現代版「絹の道」でしょうか。地の利は大いにあるとわたしは思います。橋本周辺が地域の産業のコアになることもありかもしれません。なにも商材は絹でなくてもいいのです。



とはいえ、小田急多摩線延伸先が横浜線相模原駅、京王のターミナルも横浜線橋本駅、お隣どうしです。仲良くしたいものではあります。

横浜線の市内沿線でもだいぶ住戸の開発が進んでいます。内陸でどのぐらい産業を集積できるかで、相模原の特色は決まってきそうです。

政令市移行を契機に相模原市の職員たちが新宿駅で市の紹介イベントを繰り広げていたのも記憶に新しいところです。

2012年12月3日月曜日

相模野基線北端点(相模原市南区麻溝台)

基線北端(点名:下溝村)http://www.jac.or.jp/info/doukoukai/chiri/agc01.html

上のリンク先にかなり詳細な調べ方があるので参考にします。こうあります。
相模原市麻溝台4-2099 麻溝中学、西側
区制施行前の名称で挙がっていますのでそのまま参照します。

相模野基線北端点(さがみのきせんほくたんてん)
http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kyouiku/bunkazai/list/21983/006233.html

相模原市ホームページには次の通りあります
<引用>
 明治時代に近代測量の基準線を設けるために設置された測量点で、わが国の近代地図の発祥地とも言われています。

 基準線は相模野基線と呼ばれ、明治15(1882)年に測量され、明治16(1883)年5月に採用されました。南端点は、小田急江の島線南林間駅西方の座間市域にあり、この二点間を実測し、三角測量を行いました。

 当時の相模野は、広く平坦な原野であり、見通しが良いので基線を設けるには最適地でした。
参考文献
相模原市1968「相模原市史」第六巻
座間美都治1976「相模原の史跡」
<引用終わり>
相模原市指定文化財にもなっています。

近辺の地図は、検索すると下のとおりです。
神奈川中央交通の時刻表検索を見ると、2012年現在、相模大野駅(小田急線)から麻溝台経由北里大学病院行きのバスが便利そうです。

付近は道もあまり広くないうえに大型車が頻繁に通りますので、車では通りにくいうえ停める場所もないのでバスをおすすめします。最寄りは「麻溝台中学校入口」バス停です。

バス停の近くには養鶏場のたまご直販所、乗馬クラブ等もありますので散歩がてら見ていくのもいかがでしょうか。

2012年12月1日土曜日

DC狂の詩(現・相模原市緑区〜中央区〜南区:電化前の相模線キハ35)



やっぱりわたしも、いくつになってもディーゼルカー(DC)の走るのを見ると旅へと食指が動きます。うずうずするのです。

ちょうどわたしが社会に出る直前の動画ですね。撮影は1993年とされています。2年前にアップされたようです。いわば相模原の史料的な動画をあげていただいたことに感謝しています。

このころまでは、沿線周辺の街は何処も変わりありませんでした。それから10年、20年経って、相模原市は2010年に政令指定都市として競り勝ちいっとう抜きん出たポジションを勝ち得ました。

この動画の末尾にちょっと出てくるのですが、八高線も八王子〜高麗川間の電化を直後に控えていました。いまや相模線も、八高線高麗川以南も、(相互に乗り入れていませんが)電化され電車が走っています。しかも、八王子〜高麗川〜川越(乗り換え)川越〜大宮で直通運転してます。川越から大宮経由でりんかい線へ出る電車にも乗り継げます。

いまのところ、相模線の電車の一部は橋本から八王子まで横浜線に乗り入れ北上して八王子でストップです。八高線の電車は高麗川から南下してきて同じく八王子でストップです。

大宮といえば2003年に政令指定都市に移行したさいたま市にあります。相模原市はその7年後の2010年になります。わたしが小さい頃、在京某キー局が埼玉県をおとしめる歌を流してました。

そのころ「うちのほうが都会だ」と威張っていた街が今になって、取り残されて一番田舎になってしまったのです、皮肉なものです。2017年頃にはこの辺、全般的にどう変わっているでしょうね。

いつぞやわたしは新聞かなんかの提言で、相模線から横浜線を通して八高線電化区間を定期で直通させるといいのでは、と言った憶えがあります。そういえば、相模線〜横浜線〜八高線〜川越線は圏央道と平行しているのは偶然でしょうか。たぶん、ですが八王子駅の中央線ホームを使って入れ替えして直通は出来るかも知れません。よく分かりませんが。
(下の図はJR東日本HPより)

乗り鉄版・橋本駅からキハ35:1990年当時


整備すればダイナミックリンクの中には入れるはずなんですけど、いかんせんネックは単線であること。相模線には「『溝』を通って海に抜けるんだぜ」という歌もあるようです。川越から八王子経由で茅ヶ崎まで単線を「通って海に抜けるんだぜ」、いいじゃないですか。山陰本線の京都口は京都〜園部が電化複線になってます。相模線も橋本〜上溝(新駅作の口?まで)複線化するといいんですよね。小田急多摩線の延伸も視野に入れて。仮称、【快速相模ライナー】。4両編成で茅ヶ崎から高麗川、大宮まで直通とか。



実際、1987年のことですが、臨時列車でホリデー快速観梅号が気動車で運行されました(上の動画)。見事に八高線と相模線を直通していました。


こういうふうに複線化を進めている方も見つけました。参考に。
http://www.sagamimirai.jp/sagamisen.html

今の相模線はこんな感じです。

2012年11月23日金曜日

呼ぶ赤い手・青い手(中央区西門商店街)

(西門商店街の紹介HPよりhttp://www.navida.ne.jp/snavi/4990_1.html「産業ナビ」)

わたしも何度も通りがかっていますし、自宅から自転車で横浜線の線路沿いに30分ぐらいの所です。場所的には、相模原総合補給廠の西門入り口と国道16号を結ぶ線の中間あたりです。最寄り駅は?JR相模原駅と矢部駅の中間あたり、いちおう相模原駅の方が近いとされています。わざわざJRと書いたのは、南区の小田急相模原駅と区別をつけるためです。

このあたりの16号(市役所通り周辺)は、けっこう道路幅が広いです。戦時中の軍都構想の名残といいます。

この作品、台座をよく見ると装飾が施されているのです。見えますでしょうか。有名な「太陽の塔」とか杉並の某図書館入り口にもある「座ることを拒絶する椅子」とか、公共施設へ行くと必ずといっていいほど岡本作品を目にしてしまいます。

なんか知りませんが、川崎や町田というのはうまくゆかりの地を利用してますね。たとえば、

川崎市

川崎市岡本太郎美術館

川崎市 藤子F不二雄ミュージアム


町田市

町田市民文学館 ことばらんど(遠藤周作の蔵書・遺品も多数あるそうです)

といったところもあります。


そういえば地元縁の作家ならば中村雨紅が一時期、相模原市内に住んでいたといいます。「夕焼け小焼け」のメロディーを夕方使う八王子や厚木に縁が深いといいますので、中間地点をとって相模原に「記念館」を作るのもよいのではと私は思います。関係する自治体で資金を出し合って共同運営するとか。芸術作品というのは奪い取り合ってもどうかなと思うのです。さがみはらフェスタでスペースダンスやコスプレ、アニソンといった文化を採り上げるのもいいですが相模原はいまや、地域で中核的な位置にあるから、もっとその辺でも主導権をどん欲に取ってほしいです。

2012年11月16日金曜日

潤水都市さがみはらフェスタ2011(相模原総合補給廠・JR相模原駅北側)



中央区の商店街キャラクター「こけ丸」の体操だそうです。

2012年のはこちらです。
http://pr.city.sagamihara.kanagawa.jp/festa/index.html

相模原総合補給廠ですが、矢部側の敷地内に大きな陸橋ができつつあります。あれ、どうやって使うんでしょうか。

昨年の春、同じ場所のフェスタを見に行きました。雨の翌日で、足許はよくありませんでした。11月のは天気次第ですが見に行ってみたいと思います。立川の昭和記念公園みたいに「相模原口」、「矢部口」、「向陽口」とかできるといいんですよね。

2013.8.15追記

きゃりーぱみゅぱみゅのアルバム出ましたね。今年辺り、インベーダーダンスでこれ(↓)をバックに出場する人も出るのでは。


2012年11月14日水曜日

平成22年4月1日@相模原市、政令指定都市



 平成22年4月1日、横浜線淵野辺駅にて。コンコースで「祝 平成22年4月相模原市 政令指定都市 東日本旅客鉄道株式会社 横浜支社」と、アクリル板カバー付きのフレームにポスターが収まっていました。

 そういえば、その前の日にこの駅を乗降する学生達が「明日から俺たち『市民』から『区民』か」と話していました。

 私事で恐縮なのですが、30代まで都内に住んでいたので「区民」というと「23区民」のことしか指さないという頭がありました。後で書きますが、それは全国で特殊ケースということを見つめ直すきっかけでした。

 30歳になってから10年ほどの神奈川歴なのですが、都内・都下にいると消防も水道も都道府県持ちで当然という固定観念が外れていません。むしろ、都内・都下のほうが全国的に見て特別だったのでしょう。地方自治法の「特別地方公共団体」に特別区が入っている、という特殊事情もあります。

 先日も淵野辺駅南口の「大野北まちづくりセンター」へ行くと、「中央区」の懸垂幕が入り口に張ってあり、中に入ると「区民課」(「市民課」ではない)とあります。移行以来、なぜか南区も緑区も区役所を見に行ったことがありません。まあ、わたしは平日勤務の職場にいるので土日に行っても開いているのを見たことがないというわけです。

 以前から思っていたとおり、市役所が以前よりも遠くなったという印象はぬぐいきれません。大阪都・神奈川州等々、全国的に従前からの地方自治制度が大きなうねりの中で曲がり角に来ています。せっかく住民税納めているのですから、棄権はしないようにしたいものです。