AD : Haru and Hanako store

ads

2012年12月31日月曜日

Deep South of Sagamihara あるいは東林間サマーわぁ!ニバル

相模原の(今のところの)南部、最深部、真夏の祭典から。

相模原から大和にかけて、林間都市構想というものがありました。小田急江ノ島線で相模大野から南へ行くと、「〜林間」という駅が続きます。

その一つ、「東林間」には

東林間サマーわぁ!ニバル

http://higashirinkan-awaodori.com/

ハンニバル、ではありません。象に乗ってアルプスを越えてくるとか。
わぁ!ニバルなるものが夏にあります。私見ですが、サンバのパレードか何かするのかと思いきや、阿波踊りだそうです。

例年ですと8月第一土日あたりです。ちょうど各地の花火大会とバッティングします。穴場ではないでしょうか。




高尾山口〜高尾山〜明王峠〜陣馬山〜和田峠〜陣馬高原下(相模原市緑区)

http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-244826.html

※登山は各自の責任においてお願いします。


 私が以前、高尾山から陣馬山へ縦走したときのコースは、上のリンクの逆コースでした。10月ぐらいでした。イヌを飼い始めてから行かなくなってしまったのですが、後立山、槍・穂高、剣岳、北岳、燧ヶ岳等、登山路を通って一夏に一カ所行くのが恒例でした。その足慣らしにも、ここで採り上げる低山コースは山登りの経験と体力の基礎になります。シーズン前に何度も行った方がいいです。

 八王子がまだ相模原と境を接する前のことでした。いまも小仏城山(こぼとけしろやま。最近はこの標記が目につく。ここでは「城山」。)のあたりまではほぼ、東京都八王子市内です。そこから先、相模湖畔へ降りても城山へ進んでも相模原市緑区内です。

城山 (相模原市観光協会公式HPhttp://www.e-sagamihara.com/nature/nature_scenery/0597/index.html

 城山の先がいろいろバリエーションがあります。小仏峠(こぼとけとうげ)から相模湖側へ降りると、美女谷温泉というところがありまして、日帰りで入浴することもできます。相模湖駅までバスの本数は少ないので、歩きで行った方が早いです。

 小仏峠は高尾山〜陣馬山までの全コースのおよそ中間地点です。小仏峠から北進すると明王峠があります。明王峠から下りると相模湖駅のすぐ西側に出ます。

 明王峠を下りずに北進すると陣馬山まで行きます。陣馬山から和田峠(峠の東側で再び八王子市です)、さらに陣馬高原下まで行くと京王八王子行きのバスが出ています。


2012年12月26日水曜日

大地の恵みの豊かな相模原:最近のアクセスを振り返って

意識はしていませんでしたが、閲覧の人気順に現時点でみてみると、モナの丘・やまなみ温泉・ゲイマーぶどう園跡という順番です。

ゲイマーぶどう園跡
http://sagamihara-sight.blogspot.jp/2012/11/blog-post_25.html

いずれも緑や大地の関わる場所ばかりです。ゲイマーぶどう園跡についてはwww.google.frからもアクセスがありました。ぶどう園主だった方の出身地と同じくフランスからです。

大野台のあたりでもしかして、ぶどう園を復活させようとする縁の人たちが海外にもいるのかもしれません。よくよく見ると、ゲイマーぶどう園(原綴でM. Gueymard wine)も最初の開拓者が経営に失敗したところを買い受けて繁盛させたという歴史もあります。

ちょっと話はずれます。私が学生の頃、よく学生課という所にお世話になりました。夏のキャンプで長野の黒姫へ行ったときも、なぜか小さいグラウンドでソフトボールのミニ試合をすることになったとき、私が一塁で捕まったあとそのあとの打席でどんどん仲間が塁を回り始めました。「一度あることは二度あるんだ」とそのときの担当者がにこにこしながら言ってます。

たぶん、有志でぶどう園も再び盛り上がるのかも知れませんね。

2012年12月24日月曜日

大山道(おおやまみち)

伊勢原市の大山(1,252m)を目指す放射線状の古道がいくつもあります。

今回は、相模線から129号・作の口付近を通り、大山を見るビデオを紹介します。



あのあたりは、さがみ縦貫道のアクセス部工事のため、どこがどうつながっているのか皆目わからなくなっています。自分で行きたい場所があればどう行けばいいのか、整理し直すまで若干時間がかかりそうです。

このビデオの作者のチャンネルは見応えがあります。紹介させていただきます。

http://www.youtube.com/user/ken588?feature=watch

たぶん、相模原の自然豊かな名所はほとんど網羅されているといっていいでしょう。

2012年12月22日土曜日

八景(はけ)の棚(南区下溝)



ここもまた、モナの丘から西へ下溝駅に向かいおよそ1キロのところにあります。なんで南区なのにこんなに自然が豊かなの?というところです。相模大野駅周辺を見る目で見るとそう思えるかも知れません。

読みは「はけ」であり漢字の「はっけい」は金沢八景の八景にかけたのでしょうか。このあたりでは河岸段丘のことを《ハケ》と呼ぶそうです。ここでは相模川です。参考までに、多摩川沿いでも特に日野・立川あたりでも《ハケ》といいます。

緑区なら「谷戸」がいっぱいですが、今回は「はけ」です。この崖沿いに道を降りていくとハイキングコースで「磯部頭首工」といって相模川から左岸の農業用水を取る施設があります。相模線に乗って海老名へ向かうと、農期にはあふれるぐらいの農業用水が線路の下を流れてクロスしています。クロスはちょうど相武台下駅あたりです。

引用したビデオには、愛川町から厚木市にかけての河岸段丘と諸々の橋がかかっています。奥の真新しい橋がさがみ縦貫(圏央道)のようです。2012年度には海老名から相模原愛川まで開通予定だそうです。その2年後ぐらいに高尾山から相模原愛川までつながると、周囲の雰囲気はがらりと変わりそうです。圏央道と20号バイパスができてから、町田街道で春日部ナンバーや所沢ナンバーをよく見かけます。

2012年12月18日火曜日

世界でいちばんのろいスジ@相模原市南区相模大野駅


相模原の背骨を走るのが横浜線なら、貧弱なあばらはモタ急・オバQ・小田急線です。
相模大野駅だけじゃどうにもなりません。小田急相模原も相武台前も大切にね。

 おなじみ、プリプリの名曲の替え歌です。


世界でいちばんのろいスジ

9月の台風押し寄せたら
相模川越えるの町田へ
輝く銀色の4000系みんなを乗せ
本厚木で足止めだよ
たいくつなアワーラッシュざわめく乗客
うちで過ごす時間が ほら間引きの彼方に消えてく

通勤電車は傍目に 駆けぬける がらがらのロマンスカー
海老名は目の前 運転再開してよ
世界でいちばん 寝てるスジ
もうこのイライラ止めないで

コンパスはいつも ほら東を指してる
もうすぐよ きらめく海老名の街
永遠に着かないかも 各駅新宿行き
遙かな町田にたどりつくの
どけよホーンがいつの間にかうばっていった
通勤のジュヴナイル取り戻すのよあなたといっしょに

5分遅れなんて驚かない海老名で通過待ち
ついでに相武台前でも通過待ち
世界でいちばん 寝てるスジ
いつまでも やきもきさせて

相模大野 警戒25キロ 3番線へ
4番線の快速急行と回送に抜かされて
たどりつくの3分の駅間12分かけて
町田到着 通過待ち 階段が詰まるよ
区間でいちばん のろいスジ
区間でいちばん 遅いスジ
世界でいちばん 寝てるスジ





相模大野駅手前のノロノロ運転です。




2013.4.28追記
とくに町田駅の小田急百貨店入口のボトルネック。通勤通学のラッシュに出くわしますが、あの場所で身動き取れなくなる瞬間もあります。これで将棋倒しとかテロが起きたらどうなるのか、想像しただけで恐ろしい場所もあります。



2012年12月14日金曜日

京王相模原線橋本駅(相模原市緑区)


橋本駅手前の最後の右カーブ
(ウィキペディアから)

新宿から橋本に向かう乗客には、なぜ相模原線(さがみはらせん)という名前なのか、という思いもあるでしょう。調布から橋本まで相模原線という名前です。

わたしの憶えている限りで話してみます。新宿から南大沢まで開通して、おお!という感じでした。学生時代でした。京王堀之内の丘の上にあるモスバーガー(いつの話だろう)に入って大学の仲間と議論するのが楽しみでした。それぐらいしか周囲は開けていなかったというわけです。

麻溝台に住んでいた後輩が、橋本から大学までの京王バスは不便だからといって、授業のある日は彼はスクーターに乗って補給廠脇をとおって来てました。たぶんこれが、わたしと相模原の最初の関わりだったようです。当時、相模線はまだ非電化区間でした。

その後、やっと橋本まで開通だったのです。恩師の退官講演とパーティーのとき、多摩センターから大学まではじめて多摩都市モノレールに乗り、地域がだいぶ変わったのを感じました。いまでは巨大ショッピングセンター、アリオ橋本を目指して海老名あたりまでの半径の人たちが押し寄せています。

京王相模原線に戻ります。橋本から津久井の中心地まで延伸構想もあったそうです。橋本のホーム突端にはマンションが建ち、断念したのだなとわかります。地図上をたどると旧国鉄工機部(橋本車両センター)跡が延長線上にあるのがわかります。
(参照 http://web.thn.jp/wgwg_haitetsu/haitetsu/keio_sagami/keio01.htm)いまは東急ストアや郵便局、高層ビル群が建っています。橋本から西は神奈中バスが緑区三ヶ木(みかげ)までは直通で運行されています。

現時点で市内始発の新宿ゆき路線はここだけということになります。小田急多摩線が唐木田から上溝まで延伸すれば、都心直通は二本になります。国内の消費が減り続けるならたぶん、都心にこだわる必要すらなくなりそうですが、どうなるんでしょう。

現代の「絹の道」圏央道のイメージ。
砂利道、横浜線、16号、
自動車専用道路と進化するのがわかります。

震災と津波の件もあり、危機管理上、相模原台地へ横浜から県庁を持ってくる構想もあって良さそうです。ことのついでに、内陸の開発も圏央道絡みで必要になると、京王には残念ですが小田急多摩線延伸が市内発展に必要になるかもしれません。田名あたりも住宅地の開発で重要になるでしょう。圏央道は空路の成田、海路の横浜と結びつくため、国際競争につながる現代版「絹の道」でしょうか。地の利は大いにあるとわたしは思います。橋本周辺が地域の産業のコアになることもありかもしれません。なにも商材は絹でなくてもいいのです。



とはいえ、小田急多摩線延伸先が横浜線相模原駅、京王のターミナルも横浜線橋本駅、お隣どうしです。仲良くしたいものではあります。

横浜線の市内沿線でもだいぶ住戸の開発が進んでいます。内陸でどのぐらい産業を集積できるかで、相模原の特色は決まってきそうです。

政令市移行を契機に相模原市の職員たちが新宿駅で市の紹介イベントを繰り広げていたのも記憶に新しいところです。

2012年12月8日土曜日

相模原市立博物館/国立フィルムセンター相模原分館/JAXA相模原キャンパス〜淵野辺駅(中央区高根ほか)

相模原市立博物館
http://www.remus.dti.ne.jp/~sagami/

このブログではhttp://sagamihara-sight.blogspot.jp/2012/11/blog-post_15.htmlにて採り上げたこともあります。

博物館外観


周辺の市から借りている農具や自然科学の常設展示もあります。エントランス奥にある定礎によれば平成7年に竣工しています。

平成24年12月8日現在、北里研究所の創設100年記念の節目により北里柴三郎にちなんだ特別記念展が開かれています。HPによれば16日まで展示しているそうです。

以前わたしが見に行ったときには、学習資料展の「ちょっと昔のくらし」シリーズで戦時中/終戦直後の相模原がありました。プラネタリウムやミュージアムショップが充実しているのも子供連れにはうれしいところです。

(少し脱線・相模大野について)
相模原市は市内の大学とこのように連携を取っているところも素晴らしいです。そういえば、また後日採り上げるつもりですが相模大野駅北口の再開発ビル・ボーノ相模大野のなかに市内大学の交流センターもできるといいます。大学関連でいうと市民・大学交流センター「ユニコムプラザさがみはら」というセンターが再開発ビル内にできます。

(博物館周辺に戻りまして)
隣の敷地には国立フィルムセンター相模原分館があり、相模原市との「文化事業等協力協定」により所蔵フィルム上映会開催で一般公開している実績もあります。フィルムセンターのHPからはあまりよく探せませんので、HPの「サイト内検索」にて「相模原」と入れて検索するとイベント関連でいろいろ出てきます。普段は非公開です。

このはす向かいに、探査機「はやぶさ」の持ち帰ったカプセルを展示していたJAXA相模原キャンパスがあります。「イトカワ」の微粒子を納めているのではというカプセル公開展示のときは(真夏でしたが)見学の親子連れが順番待ちで何百メートルも列を作っていました。普段は限定しての公開です。

JAXA相模原キャンパス
http://www.jaxa.jp/visit/sagamihara/index_j.html




帰りに淵野辺駅周辺の商店街(北口)を通ると、「はやぶさ」グッズを手に入れられるかも知れません。アーケードのあること座通りの呉服屋さんでそれにちなんだ手ぬぐいも置いてあるときがあります。複数のレストランにはそれらにちなんだ料理もあるようです。

淵野辺には各通りに星座の名前がついています
http://tamagazou.machinami.net/fuchinobe.htm

キャッチフレーズが「銀河をかけるまち・ふちのべ」です。全国で6つの「銀河連邦」ミニ共和国があり、ネットで探してみるのも一興です。

にこにこ星ふちのべ協同組合
http://members.jcom.home.ne.jp/2525hosi/coop/coop/index.html

2012年12月3日月曜日

相模野基線北端点(相模原市南区麻溝台)

基線北端(点名:下溝村)http://www.jac.or.jp/info/doukoukai/chiri/agc01.html

上のリンク先にかなり詳細な調べ方があるので参考にします。こうあります。
相模原市麻溝台4-2099 麻溝中学、西側
区制施行前の名称で挙がっていますのでそのまま参照します。

相模野基線北端点(さがみのきせんほくたんてん)
http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kyouiku/bunkazai/list/21983/006233.html

相模原市ホームページには次の通りあります
<引用>
 明治時代に近代測量の基準線を設けるために設置された測量点で、わが国の近代地図の発祥地とも言われています。

 基準線は相模野基線と呼ばれ、明治15(1882)年に測量され、明治16(1883)年5月に採用されました。南端点は、小田急江の島線南林間駅西方の座間市域にあり、この二点間を実測し、三角測量を行いました。

 当時の相模野は、広く平坦な原野であり、見通しが良いので基線を設けるには最適地でした。
参考文献
相模原市1968「相模原市史」第六巻
座間美都治1976「相模原の史跡」
<引用終わり>
相模原市指定文化財にもなっています。

近辺の地図は、検索すると下のとおりです。
神奈川中央交通の時刻表検索を見ると、2012年現在、相模大野駅(小田急線)から麻溝台経由北里大学病院行きのバスが便利そうです。

付近は道もあまり広くないうえに大型車が頻繁に通りますので、車では通りにくいうえ停める場所もないのでバスをおすすめします。最寄りは「麻溝台中学校入口」バス停です。

バス停の近くには養鶏場のたまご直販所、乗馬クラブ等もありますので散歩がてら見ていくのもいかがでしょうか。

2012年12月1日土曜日

DC狂の詩(現・相模原市緑区〜中央区〜南区:電化前の相模線キハ35)



やっぱりわたしも、いくつになってもディーゼルカー(DC)の走るのを見ると旅へと食指が動きます。うずうずするのです。

ちょうどわたしが社会に出る直前の動画ですね。撮影は1993年とされています。2年前にアップされたようです。いわば相模原の史料的な動画をあげていただいたことに感謝しています。

このころまでは、沿線周辺の街は何処も変わりありませんでした。それから10年、20年経って、相模原市は2010年に政令指定都市として競り勝ちいっとう抜きん出たポジションを勝ち得ました。

この動画の末尾にちょっと出てくるのですが、八高線も八王子〜高麗川間の電化を直後に控えていました。いまや相模線も、八高線高麗川以南も、(相互に乗り入れていませんが)電化され電車が走っています。しかも、八王子〜高麗川〜川越(乗り換え)川越〜大宮で直通運転してます。川越から大宮経由でりんかい線へ出る電車にも乗り継げます。

いまのところ、相模線の電車の一部は橋本から八王子まで横浜線に乗り入れ北上して八王子でストップです。八高線の電車は高麗川から南下してきて同じく八王子でストップです。

大宮といえば2003年に政令指定都市に移行したさいたま市にあります。相模原市はその7年後の2010年になります。わたしが小さい頃、在京某キー局が埼玉県をおとしめる歌を流してました。

そのころ「うちのほうが都会だ」と威張っていた街が今になって、取り残されて一番田舎になってしまったのです、皮肉なものです。2017年頃にはこの辺、全般的にどう変わっているでしょうね。

いつぞやわたしは新聞かなんかの提言で、相模線から横浜線を通して八高線電化区間を定期で直通させるといいのでは、と言った憶えがあります。そういえば、相模線〜横浜線〜八高線〜川越線は圏央道と平行しているのは偶然でしょうか。たぶん、ですが八王子駅の中央線ホームを使って入れ替えして直通は出来るかも知れません。よく分かりませんが。
(下の図はJR東日本HPより)

乗り鉄版・橋本駅からキハ35:1990年当時


整備すればダイナミックリンクの中には入れるはずなんですけど、いかんせんネックは単線であること。相模線には「『溝』を通って海に抜けるんだぜ」という歌もあるようです。川越から八王子経由で茅ヶ崎まで単線を「通って海に抜けるんだぜ」、いいじゃないですか。山陰本線の京都口は京都〜園部が電化複線になってます。相模線も橋本〜上溝(新駅作の口?まで)複線化するといいんですよね。小田急多摩線の延伸も視野に入れて。仮称、【快速相模ライナー】。4両編成で茅ヶ崎から高麗川、大宮まで直通とか。



実際、1987年のことですが、臨時列車でホリデー快速観梅号が気動車で運行されました(上の動画)。見事に八高線と相模線を直通していました。


こういうふうに複線化を進めている方も見つけました。参考に。
http://www.sagamimirai.jp/sagamisen.html

今の相模線はこんな感じです。

2012年11月25日日曜日

ゲイマーぶどう園のあった場所/南区大野台5丁目

行っても工場があるので「あれ?」という感じかも知れません。そうです、工場しか今はありません。わたしも相模原に越してきた1999年当時、まだあったのです。
(2012年現在の位置図:グーグルマップ)


 (交通)JR古淵駅から神奈川中央交通バス・ゴルフ場経由北里大学病院行き
本数は少ないです。16号を八王子方面へ大野台二丁目交差点左折、大野台中央小入り口バス停付近。

(リンク)2008年当時の他サイト記事です
lost world of Sagami http://heartmt.exblog.jp/i6/ vignoble lost
ゲイマーぶどう園 http://mkaji.seesaa.net/article/85809152.html

(ぶどう園があった当時の地図:1994年、昭文社。自宅「書庫」より)


とりあえず「観光ブログ」ということなので、過去のことを書いてもいいかなと思って書きました。

タウンニュースにも載ってました(2012.11.22号南区)
「覚えていますか?あの強い味 大野台・ゲイマーワイン思い出話」

跡地に建った工業団地・Sia神奈川のロゴマークには、一房のぶどうのイラストが入ってます。ぶどう園当時の名残がイラストに留まっています。

こんどはこの近く、散歩してまわるには最適なコース、「ここち湯」や「相模原球場」、「宇宙科学研究所」、「市立博物館」を紹介したいと思います。この「大野台中央小入り口バス停」の先の「ゴルフ場入口バス停」を起点に歩き回ってJR淵野辺駅までという感じです。


2013.9.7追記
 ニトリモールの開店後初めての土曜日の様子を見に行った帰りに、Sia神奈川のまわりを自転車で一周してきました。その時の写真です。


これはバス通り(ゴルフ場前バス停近く)から南を見た図です。
真ん中にぶどうの房をあしらった看板が立っています。
工場のわきの道では、近所の人たちとおぼしき人たちが自転車を止めて立ち話をしています。


ここが工業団地のど真ん中です。一周したつもりが1/4周しかできていませんでした。
ある工場の裏に回ると有機溶剤とおぼしき鼻をつく匂いがしています。


ふたたびバス通りへ。中央に工業団地の案内図が立っています。
こうしてみるといかにゲイマーぶどう園が大きかったかわかります。

大型車は通り抜けできないと看板が立っています。
この工場街を貫く道の両端にはこもれ日の森(相模原緑地)から大野台に抜ける細道が続いていて、ぶどう園のあった当時をしのぶことができます。


2012年11月23日金曜日

呼ぶ赤い手・青い手(中央区西門商店街)

(西門商店街の紹介HPよりhttp://www.navida.ne.jp/snavi/4990_1.html「産業ナビ」)

わたしも何度も通りがかっていますし、自宅から自転車で横浜線の線路沿いに30分ぐらいの所です。場所的には、相模原総合補給廠の西門入り口と国道16号を結ぶ線の中間あたりです。最寄り駅は?JR相模原駅と矢部駅の中間あたり、いちおう相模原駅の方が近いとされています。わざわざJRと書いたのは、南区の小田急相模原駅と区別をつけるためです。

このあたりの16号(市役所通り周辺)は、けっこう道路幅が広いです。戦時中の軍都構想の名残といいます。

この作品、台座をよく見ると装飾が施されているのです。見えますでしょうか。有名な「太陽の塔」とか杉並の某図書館入り口にもある「座ることを拒絶する椅子」とか、公共施設へ行くと必ずといっていいほど岡本作品を目にしてしまいます。

なんか知りませんが、川崎や町田というのはうまくゆかりの地を利用してますね。たとえば、

川崎市

川崎市岡本太郎美術館

川崎市 藤子F不二雄ミュージアム


町田市

町田市民文学館 ことばらんど(遠藤周作の蔵書・遺品も多数あるそうです)

といったところもあります。


そういえば地元縁の作家ならば中村雨紅が一時期、相模原市内に住んでいたといいます。「夕焼け小焼け」のメロディーを夕方使う八王子や厚木に縁が深いといいますので、中間地点をとって相模原に「記念館」を作るのもよいのではと私は思います。関係する自治体で資金を出し合って共同運営するとか。芸術作品というのは奪い取り合ってもどうかなと思うのです。さがみはらフェスタでスペースダンスやコスプレ、アニソンといった文化を採り上げるのもいいですが相模原はいまや、地域で中核的な位置にあるから、もっとその辺でも主導権をどん欲に取ってほしいです。

2012年11月22日木曜日

はやぶさ模型移動(相模原市中央区某所)


横浜線某駅にて。トラックにはやぶさ模型が積み込まれました。なんか、「ミカンせいじん」がトラック詰めになって移動を待っているシーンを思いだしてしまいます。

さて、この巨大模型、次の行き先はどこでしょう。今週末ある「潤水都市さがみはらフェスタ2012」(中央区)と何か関係があるのでしょうか。